鎌倉も桜が満開
今朝早めに家を出て鎌倉の妙本寺に出かけてきた。桜が満開と聞き急いで出かけたが既に鎌倉近辺は大勢の人で賑わっていた。ここ妙本寺は源の頼朝の側近であった比企能員(ひきよしかず)の屋敷であったが将軍後継ぎ問題に端を発して、北条時政に滅ぼされ、その後比企一族の霊を弔う為にお堂を建てたのが始まりと聞く。鎌倉でも桜の名所として知られているお寺だが期待に反して桜は僅かで名所にしてはちょっと淋しさを感じさせる。


妙本寺は日蓮宗のお寺である。日蓮上人も柔和な顔で桜を愛でていた


しかしそれが返ってお寺の佇まいに見事なほどに溶け込んでおり風情を感じさせてくれる。私を含めアマチュアカメラマンが多数訪れていたがカメラに収めるには丁度良い被写体なのかも知れない。お堂の登り段には長い間座ったままでいるカップルがいた。他のアマチュアカメラマンからお堂にお尻を向けて長いこと座り込んでいるのは仏への冒涜で常識が無さ過ぎると非難していたが、確かにお尻を向けて長い間座していることは問題が有るかも知れないがむしろ問題なのはアマチュアカメラマンの方でアチラこちらで三脚を立てて撮影している姿こそ他の参拝客への大いなる迷惑と思うのだが・・・・。鎌倉に撮影に行くたびに自らの撮影姿勢に反省をさせられる。


妙本寺は日蓮宗のお寺である。日蓮上人も柔和な顔で桜を愛でていた


自動車免許証の更新
免許証の更新のため最寄りの警察署に出かけ手続きをしてきた。歳と共に常に交通ルールを守ろうとの意志の現れか交通違反もなくゴールド免許証を授かったお陰で最寄りの警察署で更新が出来るようになった。なのに自らの過去の行状の悪さからか警察署の敷居が高く恐る恐る警察署に入る仕草は自分でも可笑しさを感じてしまう。
それにしても警察署のお上の感覚は何とかならないものか。受付の若い女性警察官に免許証の更新に来たことを伝えると収入印紙を買ってきたかと問われ「幾らを何処で買えばよいのですか」と尋ねた。すると「お知らせのハガキに書いてあるでしょ!裏の交通安全協会で買ってください」との答え。収入印紙を何故交通安全協会で買わなければいけないのかおかしな話だと思いながらもそれにしても彼女の実に高飛車で横柄なる対応にびっくりさせられてしまう。なるほどここにもあやふやな訳の分からない外郭団体が有るのかと致し方なく裏の交通安全協会に出向くと「写真を撮ります。それから安全協会への協力を頂くために入会の手続きをいたしますが如何いたしますか?」と聞かれた。即座に「収入印紙だけを買いに来たので必要有りません。」というと実にイヤな顔をされてしまった。
元に戻って先ほどの若い女性警察官に写真と収入印紙を渡し手続きをしてもらうと「ロビーのテレビでビデオによる安全講習を受けて下さい」との指示を受ける。言われる通りにロービーの隅っこでビデオを見ているとビデオ装置のヘッドが汚れているためか同期ズレのような見苦しい画面が出てくる。その度に如何にも交通安全協会の人らしいと思われるご老人が「すいません。毎日ビデオを流しっぱなしにしているためちょっとテープがヘタっておりますのでテープを先送りいたします。更新手続きには関係有りませんのでご安心下さい」。内心では「ならば最初からこんなつまらないビデオなんか見せるな!」と思いつつ暫くすると先ほどの交通安全協会員と思われるご老人から私の名前が呼ばれ「手続きが終わりました。新しい免許証を貰うには二つの方法が有ります」と言われた。
「900円払って郵送で受けるか、直接取りに来るか二つの方法がありますがどちらにしますか?」
「もちろん直接出向いて取りに来ます。その方が早く貰えるでしょ!」
「いや、郵送のほうがずっと早く貰えますよ」。
このやりとりがついに私をカチンとさせてしまった。
「それはおかしな話ではないですか?直接取りに来た方が手間が省けて郵送よりも早いのではないですか?」
「県内の50数カ所ある警察署にセンターから更新免許証を戻すには時間がかかるのです」
「郵送と直接取りに来る場合と何が違うのですか?郵送なら早く直接取りに来る場合には遅くなるというのは誰が考えても矛盾した話しではないですか?50数カ所程度に送り返すなんて時間もかからず簡単なことではないですか。そんなことは理由にはならないでしょ! むしろ郵送の方が時間のかかる仕事だと思いますが・・・」
「新しい免許証は早く貰いたいでしょ!郵送なら約2週間で直接の場合には50日位かかってしまいます。郵送の方が良いと思いますが」
「直接取りに来ます」
「新しい免許証は早く手にしたいでしょ」
「直接取りに来ます」
どう考えてみてもこの仕組みは明らかに交通安全協会のためだけにあるとしか思えないし、直接と郵送で2週間以上もの時間差があるのは理解しがたい。たかが900円の話で今日もつい無駄なつまらないやり取りをしてしまった。それにしても交通安全協会とは如何なる団体なのだろうか?とても世間に価値ある団体とは思えないのだが。これも典型的な天下り団体なのだろうか・・・・・・
それにしても警察署のお上の感覚は何とかならないものか。受付の若い女性警察官に免許証の更新に来たことを伝えると収入印紙を買ってきたかと問われ「幾らを何処で買えばよいのですか」と尋ねた。すると「お知らせのハガキに書いてあるでしょ!裏の交通安全協会で買ってください」との答え。収入印紙を何故交通安全協会で買わなければいけないのかおかしな話だと思いながらもそれにしても彼女の実に高飛車で横柄なる対応にびっくりさせられてしまう。なるほどここにもあやふやな訳の分からない外郭団体が有るのかと致し方なく裏の交通安全協会に出向くと「写真を撮ります。それから安全協会への協力を頂くために入会の手続きをいたしますが如何いたしますか?」と聞かれた。即座に「収入印紙だけを買いに来たので必要有りません。」というと実にイヤな顔をされてしまった。
元に戻って先ほどの若い女性警察官に写真と収入印紙を渡し手続きをしてもらうと「ロビーのテレビでビデオによる安全講習を受けて下さい」との指示を受ける。言われる通りにロービーの隅っこでビデオを見ているとビデオ装置のヘッドが汚れているためか同期ズレのような見苦しい画面が出てくる。その度に如何にも交通安全協会の人らしいと思われるご老人が「すいません。毎日ビデオを流しっぱなしにしているためちょっとテープがヘタっておりますのでテープを先送りいたします。更新手続きには関係有りませんのでご安心下さい」。内心では「ならば最初からこんなつまらないビデオなんか見せるな!」と思いつつ暫くすると先ほどの交通安全協会員と思われるご老人から私の名前が呼ばれ「手続きが終わりました。新しい免許証を貰うには二つの方法が有ります」と言われた。
「900円払って郵送で受けるか、直接取りに来るか二つの方法がありますがどちらにしますか?」
「もちろん直接出向いて取りに来ます。その方が早く貰えるでしょ!」
「いや、郵送のほうがずっと早く貰えますよ」。
このやりとりがついに私をカチンとさせてしまった。
「それはおかしな話ではないですか?直接取りに来た方が手間が省けて郵送よりも早いのではないですか?」
「県内の50数カ所ある警察署にセンターから更新免許証を戻すには時間がかかるのです」
「郵送と直接取りに来る場合と何が違うのですか?郵送なら早く直接取りに来る場合には遅くなるというのは誰が考えても矛盾した話しではないですか?50数カ所程度に送り返すなんて時間もかからず簡単なことではないですか。そんなことは理由にはならないでしょ! むしろ郵送の方が時間のかかる仕事だと思いますが・・・」
「新しい免許証は早く貰いたいでしょ!郵送なら約2週間で直接の場合には50日位かかってしまいます。郵送の方が良いと思いますが」
「直接取りに来ます」
「新しい免許証は早く手にしたいでしょ」
「直接取りに来ます」
どう考えてみてもこの仕組みは明らかに交通安全協会のためだけにあるとしか思えないし、直接と郵送で2週間以上もの時間差があるのは理解しがたい。たかが900円の話で今日もつい無駄なつまらないやり取りをしてしまった。それにしても交通安全協会とは如何なる団体なのだろうか?とても世間に価値ある団体とは思えないのだが。これも典型的な天下り団体なのだろうか・・・・・・
映画「ノー・カントリー」は怖かった
3月15日からロードショー封切りされた話題の「ノー・カントリー」という映画を観てきた。今年のアカデミー賞4部門を受賞した映画である。原題は「No Country for Old Men」となっている。R15の指定を受けてはいるもののとても未成年者に見せられる映画ではない。映画を見終わって思わず何とも言えない切なくやるせなくそして社会の不条理さにただただため息が漏れてしまうほど恐ろしい映画である。
ストーリーは、簡単に言えば大金を持ち逃げした男とそれを追いかける殺し屋、そして殺し屋を追いかける老保安官の物語である。1980年代のアメリカ中西部を舞台にしておりアメリカという社会の不条理さを老保安官の目で物語が展開していく。
原題が「No Country for Old Men」となっていることから主人公は老保安官であると思うが殺し屋の存在が余りにも強烈で誰が主人公なのか分からなくなる。殺し屋は大金を持ち逃げした男を執拗に追いかけその過程で自分の理屈に合わない者は何の躊躇もなく殺してしまう。人はここまで非情な姿になれるものかと怖くなる。
人と人の関係が乾ききってしまった社会に嘆く老保安官から見ればアメリカという国にかつてのような情の社会は消え失せてしまい安寧の中で生活できる環境ではなくなったことを映画の中で示唆している。邦題だけでは恐らく映画の主題がわからないかもしれない。監督は道徳観のある伝統的なアメリカ人(Old Man)には既にアメリカそのものが安住の土地ではない(No Country)ことを言いたかったのだろう。
見終わって観客の誰もが一瞬「フッーー」とため息が聞こえてくるそんな映画だ。殺し屋(ハビエル・バルデム)がアカデミー助演賞を取っている。この猟奇的迫真の演技があってこそこの映画の価値があるのかもしれない。それでも私には老保安官のトミー・リー・ジョーンズが良い。監督はコーエン兄弟で監督賞、作品賞そして脚色賞を取っている。
ストーリーは、簡単に言えば大金を持ち逃げした男とそれを追いかける殺し屋、そして殺し屋を追いかける老保安官の物語である。1980年代のアメリカ中西部を舞台にしておりアメリカという社会の不条理さを老保安官の目で物語が展開していく。
原題が「No Country for Old Men」となっていることから主人公は老保安官であると思うが殺し屋の存在が余りにも強烈で誰が主人公なのか分からなくなる。殺し屋は大金を持ち逃げした男を執拗に追いかけその過程で自分の理屈に合わない者は何の躊躇もなく殺してしまう。人はここまで非情な姿になれるものかと怖くなる。
人と人の関係が乾ききってしまった社会に嘆く老保安官から見ればアメリカという国にかつてのような情の社会は消え失せてしまい安寧の中で生活できる環境ではなくなったことを映画の中で示唆している。邦題だけでは恐らく映画の主題がわからないかもしれない。監督は道徳観のある伝統的なアメリカ人(Old Man)には既にアメリカそのものが安住の土地ではない(No Country)ことを言いたかったのだろう。
見終わって観客の誰もが一瞬「フッーー」とため息が聞こえてくるそんな映画だ。殺し屋(ハビエル・バルデム)がアカデミー助演賞を取っている。この猟奇的迫真の演技があってこそこの映画の価値があるのかもしれない。それでも私には老保安官のトミー・リー・ジョーンズが良い。監督はコーエン兄弟で監督賞、作品賞そして脚色賞を取っている。
ガマガエル(続)
3月5日の啓蟄の日に紹介した冬眠中のガマガエルだが今朝穴を確認してみたら姿が見えなかった。冬眠から覚めたらしく穴から這い出していたのだ。今日の暖かさはまさしく春到来を告げる陽気であったがガマガエルもきっと春を感じ取ったのだろう。しかしガマガエルの行方が分からず庭の隅々を探索したが見つからなかった。夕方過ぎに穴に戻って来るかと覗いて見たが姿はなかった。何処へ行ってしまったのだろうか。三寒四温の陽気はまだまだ寒い。夜の帳に寒さを感じ震えていなければ良いのだが・・・・・。
今日は啓蟄
今日3月5日は二十四節気の一つである啓蟄の日である。今年の冬は寒かった為か今日が啓蟄と言われてもピンと来ない。なのに3月3日桃の節句の日には今年初めてのモンシロチョウを見かけた。今まででは一番は早かったのではないだろうか。今年は寒いと言いながらも自然界は間違いなく温暖化に向かっているようだ。早速写真に収めようとしたが逃げられてしまい失敗した。早春の寒さに蝶の動きも鈍いであろうと思ったが意外にも俊敏であった。鈍いのは温暖化に慣らされた人間様の方かも知れない。鈍い動作でカメラを構えた瞬間あざ笑うかのように逃げられた。
話は変わるが昨秋我が家の庭で眼にしたガマガエルが玄関先の土の中で冬眠中である。昨秋庭の手入れで落ち葉を取り除いていたら土の表面に大きな穴が有るのを見つけそっと除いてみるとガマガエルの背中が見えた。土の中に潜ったつもりだったのだろうが背中が丸見えでこのままでは凍えてしまうのではないかそっと土をかけてあげた。この所毎日観察しているが動く気配はない。果たしていつ這い出てくるのだろうか。
話は変わるが昨秋我が家の庭で眼にしたガマガエルが玄関先の土の中で冬眠中である。昨秋庭の手入れで落ち葉を取り除いていたら土の表面に大きな穴が有るのを見つけそっと除いてみるとガマガエルの背中が見えた。土の中に潜ったつもりだったのだろうが背中が丸見えでこのままでは凍えてしまうのではないかそっと土をかけてあげた。この所毎日観察しているが動く気配はない。果たしていつ這い出てくるのだろうか。
春はもうすぐ
もう3月になってしまった。ついこの間正月を迎えたばかりなのに!などと思いながら時の歩みの早さに驚いている。ドイツの詩人シラーの書いた詩が実感をもって思い出される。
「時」の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のように速く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
時の歩みの中の何気ない日常がリアリティを持って我が身に迫り来るのは加齢の証拠であろうか。
昨年亡くなった作詞家阿久悠がこんなことをある本に書いている。
「何気ないことが日常であり、日常とは何気ない事だ。そこには大したドラマのないことが、親近感にもつながるし、共感にもなる。・・・・・だが(歌は)何気ないだけでもだめである。何気ない日常を、何気なく伝える以外に日常からのドラマの抽出が必要であり、これこそが歌であり、芸術の世界であろう」
我が身を振り返っての日常を思うと余りにも何気なく過ぎていることに多少の焦りさえ感じてしまう。何気ない日常に存在感を与え、ドラマを抽出するには人の情緒の大きさに左右されるのかもしれない。
自然の営みは常に何気なくそして存在感がある。花に美しさを感ずるのはそこに自然のドラマがあるからだ。美しい自然の存在を証明するのは人の情緒であり科学ではない。決して花のようになどと言うつもりはないがせめて歌があり、芸術がある日常を探してみたいものだ。
時の歩みは早いが春の訪れもためらいつつ近づいている。我が家の何気ない庭にも春が間近に来ていることを知らせてくれている。

福寿草

クリスマスローズ

メジロ
「時」の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のように速く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
時の歩みの中の何気ない日常がリアリティを持って我が身に迫り来るのは加齢の証拠であろうか。
昨年亡くなった作詞家阿久悠がこんなことをある本に書いている。
「何気ないことが日常であり、日常とは何気ない事だ。そこには大したドラマのないことが、親近感にもつながるし、共感にもなる。・・・・・だが(歌は)何気ないだけでもだめである。何気ない日常を、何気なく伝える以外に日常からのドラマの抽出が必要であり、これこそが歌であり、芸術の世界であろう」
我が身を振り返っての日常を思うと余りにも何気なく過ぎていることに多少の焦りさえ感じてしまう。何気ない日常に存在感を与え、ドラマを抽出するには人の情緒の大きさに左右されるのかもしれない。
自然の営みは常に何気なくそして存在感がある。花に美しさを感ずるのはそこに自然のドラマがあるからだ。美しい自然の存在を証明するのは人の情緒であり科学ではない。決して花のようになどと言うつもりはないがせめて歌があり、芸術がある日常を探してみたいものだ。
時の歩みは早いが春の訪れもためらいつつ近づいている。我が家の何気ない庭にも春が間近に来ていることを知らせてくれている。

福寿草

クリスマスローズ

メジロ
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