殯(もがり)の森
5月29日映画「殯の森」をNHKハイビジョン放送で観た。つい先日のカンヌ映画祭で審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀬直美監督脚本による映画である。
グループホームに愛する妻に先立たれた認知症の初老の男性が生活をしている。そこに幼子を亡くしたことへの自責の念にかられる若い新人女性福祉介護士がやってくる。ある日その男性の愛する妻の墓参りに新人介護士が付き添うことになるが二人は墓を探すために森の中を彷徨いながらも漸く墓を探し当てる。彷徨う中で男性の取る行動を通じ若い女性介護士は死とは何か魂とは何かを考えさせられ死を受け入れる事で新たな生きる希望を見いだす。
予めの解説を得ていないと分かりにくい映画だが観ている内に人間の魂の根源が伝わって来る様な感じがする。日本人の血の中に流れている情感というものだろうか。人は死して大地に恵を与え又新しい生を迎える。何となく仏教的輪廻の世界を表現しているのかも知れない。秀逸な映画である。
河瀬監督はもともとドキュメント映画を得意としていると聞いている。映画の中でセリフが殆ど無い。否あるが聞き取れないほどの会話である。無言劇に近いものを感じさせる。そのためかカメラ・ワークがまさしくドキュメントタッチの動きであり映像だけで情感を映し出している。「殯(もがり)」という言葉を初めて知ったが死人を祭っている場所を指すらしい。よくぞ付けた題名だと感心する。
劇場公開に先だってテレビで放映されたことに驚きを感じたが最近のNHKにしては英断であり賛辞を送りたい。
グループホームに愛する妻に先立たれた認知症の初老の男性が生活をしている。そこに幼子を亡くしたことへの自責の念にかられる若い新人女性福祉介護士がやってくる。ある日その男性の愛する妻の墓参りに新人介護士が付き添うことになるが二人は墓を探すために森の中を彷徨いながらも漸く墓を探し当てる。彷徨う中で男性の取る行動を通じ若い女性介護士は死とは何か魂とは何かを考えさせられ死を受け入れる事で新たな生きる希望を見いだす。
予めの解説を得ていないと分かりにくい映画だが観ている内に人間の魂の根源が伝わって来る様な感じがする。日本人の血の中に流れている情感というものだろうか。人は死して大地に恵を与え又新しい生を迎える。何となく仏教的輪廻の世界を表現しているのかも知れない。秀逸な映画である。
河瀬監督はもともとドキュメント映画を得意としていると聞いている。映画の中でセリフが殆ど無い。否あるが聞き取れないほどの会話である。無言劇に近いものを感じさせる。そのためかカメラ・ワークがまさしくドキュメントタッチの動きであり映像だけで情感を映し出している。「殯(もがり)」という言葉を初めて知ったが死人を祭っている場所を指すらしい。よくぞ付けた題名だと感心する。
劇場公開に先だってテレビで放映されたことに驚きを感じたが最近のNHKにしては英断であり賛辞を送りたい。
卯の花
卯の花が美しい。
卯の花の臭う垣根に
杜鵑(ほととぎす)早も来鳴きて
しのび音もらす夏は来ぬ
近くの山から杜鵑の鳴き声が聞こえてくる
トウキョウトッキョキョカキョク トウキョウトッキョキョカキョク
まさしく夏は来ぬである。
卯の花の臭う垣根に
杜鵑(ほととぎす)早も来鳴きて
しのび音もらす夏は来ぬ
近くの山から杜鵑の鳴き声が聞こえてくる
トウキョウトッキョキョカキョク トウキョウトッキョキョカキョク
まさしく夏は来ぬである。

ぶどうの花
2年前に植えた鉢植えのぶどう(デラウエア種)が多数の房を付けている。恥ずかしい話だが房の一つ一つが花の蕾とは思わず房がそのままぶどうになるのかと思っていた。花が咲かなければ結実しないのは当たり前の話なのに・・・・・。 小さな小さな花が多数咲いている。



レーベルとラベル
CDやレコードでは制作会社名を「レーベル(Label)」と言う。昔懐かしいレコード盤には必ず曲目や会社名を記した「ラベル(Label)」が貼付されており、そのラベルを「レーベル」と言い、いつの間にかCDやレコードのブランド名を意味するようになった。「レーベル」は英語でLabelであり日本語に訳せば「ラベル」である。「ラベル」という言葉は日常語として当たり前に使われているが何故音楽の世界では「ラベル」と言わず「レーベル」と言うのか不可解だ。同じ英語のLabelでありながら「レーベル」は英語読みに近く「ラベル」はローマ字読みに近い。言葉は時代と共に変化することは分かるが語源が同じでありながら別々の言葉になることが不思議である。因みに同じような意味を持つ「レッテル(Letter)」と言う言葉は英語ではなくオランダ語から来ており製品に製造会社の名前等を記して貼付する札を意味する。つまりその札が商標となりレコードの「レーベル」と全く同じ意味になる。しかしレッテルという言葉は転じてどちらかと言えば特定の評判という意味で使われ余り良い意味で使われていない。言葉は転がり始めると元の意味には戻らないようだ。面白い。
ジャズって何なの?
私は大のカントリー&ウエスタンのフアンだが、最近は好んでジャズを聴くことが多い。さほど多くのレコードやCDを持っているわけではないが素人オーディオ・ファンにとってジャズは楽しい音源である。
ところで、ある有名な黒人ジャズトランペッターが「日本人にジャズが分かるはずはない」と言ったとか。そんなことを紹介していた本を以前読んだことがある。ここまではっきり言われてしまうと反論のしようもないが本当に日本人にはジャズなど分かりようがないのだろうか。確かにアメリカ人でもなく黒人でもない黄色いアジア人が彼らの切なく過酷な生活環境の中で生まれた土着的音楽を単純にジャズと位置付けて最大公約数的に処理してしまうことには問題もあろうが、そもそもジャズとはどんな音楽のことを指すのだろうか。単にジャズは即興音楽というジャンルのことを指すのだろうか。それとも歴史的背景を念頭に演奏スタイルや曲そのものを斟酌して聴き分けなければいけないものなのだろうか。日本人を含む外国人が演奏するジャズはジャズではないのだろうか。実に馬鹿馬鹿しい。何となく感ずるのはこの種の話は日本人ジャズマニアの排他性が影響しているのではないかと勘ぐりたくなる。私はジャズ喫茶なる所に一度も足を踏み入れたことはないが聴くところに寄れば私語は一切ダメとのことで耳をそばたてて静かに聴かなければならないらしい。一見の客お断り的なよそ者を受け付けない独自の排他的世界で日本のジャズが成り立っているようだ。ジャズを聴くならマイルス・デービスやジョン・コルトレーンを聴けと言うが如しである。「日本人にジャズが分かるはずはない」と言った言葉はひょっとしたら日本人の凝り固まったジャズマニアあるいはジャズ評論家への警鐘なのかもしれない。私には何ら関わりのない話だが・・・・・・
ところで、ある有名な黒人ジャズトランペッターが「日本人にジャズが分かるはずはない」と言ったとか。そんなことを紹介していた本を以前読んだことがある。ここまではっきり言われてしまうと反論のしようもないが本当に日本人にはジャズなど分かりようがないのだろうか。確かにアメリカ人でもなく黒人でもない黄色いアジア人が彼らの切なく過酷な生活環境の中で生まれた土着的音楽を単純にジャズと位置付けて最大公約数的に処理してしまうことには問題もあろうが、そもそもジャズとはどんな音楽のことを指すのだろうか。単にジャズは即興音楽というジャンルのことを指すのだろうか。それとも歴史的背景を念頭に演奏スタイルや曲そのものを斟酌して聴き分けなければいけないものなのだろうか。日本人を含む外国人が演奏するジャズはジャズではないのだろうか。実に馬鹿馬鹿しい。何となく感ずるのはこの種の話は日本人ジャズマニアの排他性が影響しているのではないかと勘ぐりたくなる。私はジャズ喫茶なる所に一度も足を踏み入れたことはないが聴くところに寄れば私語は一切ダメとのことで耳をそばたてて静かに聴かなければならないらしい。一見の客お断り的なよそ者を受け付けない独自の排他的世界で日本のジャズが成り立っているようだ。ジャズを聴くならマイルス・デービスやジョン・コルトレーンを聴けと言うが如しである。「日本人にジャズが分かるはずはない」と言った言葉はひょっとしたら日本人の凝り固まったジャズマニアあるいはジャズ評論家への警鐘なのかもしれない。私には何ら関わりのない話だが・・・・・・
メジャー・リーグ野球
最近アメリカのメジャー・リーグ野球をテレビで観戦する機会が増えてきた。メジャー・リーグで活躍する日本人野球選手が増えたことでNHKがBS放送で連日中継してくれている。、昼間にテレビを見ることなど殆ど無かったのに今ではメジャー・リーグの野球見たさに昼間から楽しくテレビ観戦をさせて貰っている。
ところでメージャーリーグ野球を見ていて気がつくのは日米の観戦スタイルの違いであろうか。アメリカの場合は贔屓チームへの応援のしどころを心得ていて選手への讃え方と貶し方のメリハリがはっきりしている。特に期待した選手のパフォーマンスが悪かったり、相手チームの好敵手には激しいブーイングが起きる。日本の場合は応援が常に鳴り物入りで些か煩すぎる感じだ。つい最近、巨人-横浜戦の野球中継をテレビで見たが観客の応援ノイズによりアナウンサーや解説者の声が聞き取れないほどであった。放送現場の姿勢がノイズを取り込むことで野球中継の白熱感を出そうとしているのかも知れない。放送する側の良識の問題であろうが観戦する側からすればメジャー・リーグ・スタイルの方に好感が持てる。
また選手の動きにも何となく違いを感じさせる。メジャー・リーグは実に迫力がありダイナミックな感じがするが日本の野球は何かこぢんまりとして野球が小さく見えてしまう。これは体格の違いだろうか。不思議である。一方選手のマナーという観点で見るとメージャー・リーグ選手の所構わずつばを吐き捨てる姿は汚らしく何とも頂けないマナーの悪さである。野球もスポーツであれば競技中にガムを噛むなどもってのほかと思うのだが皆平気でガムを噛んでいる。更にはそのガムを平気でグラウンド上に吐き捨てている。余りにも酷いマナーに驚かされる。その点では日本野球のマナーの良さが光る。しかし最近日本選手が悪いマネをして同じようなことをしている者が出始めていることに危惧を感ずる。野球ファンの子供達にどう説明できるのだろうか。自分たちの醜い姿がテレビで大写しされていることに早く気がついて欲しいと思わざるを得ない。
ところでメージャーリーグ野球を見ていて気がつくのは日米の観戦スタイルの違いであろうか。アメリカの場合は贔屓チームへの応援のしどころを心得ていて選手への讃え方と貶し方のメリハリがはっきりしている。特に期待した選手のパフォーマンスが悪かったり、相手チームの好敵手には激しいブーイングが起きる。日本の場合は応援が常に鳴り物入りで些か煩すぎる感じだ。つい最近、巨人-横浜戦の野球中継をテレビで見たが観客の応援ノイズによりアナウンサーや解説者の声が聞き取れないほどであった。放送現場の姿勢がノイズを取り込むことで野球中継の白熱感を出そうとしているのかも知れない。放送する側の良識の問題であろうが観戦する側からすればメジャー・リーグ・スタイルの方に好感が持てる。
また選手の動きにも何となく違いを感じさせる。メジャー・リーグは実に迫力がありダイナミックな感じがするが日本の野球は何かこぢんまりとして野球が小さく見えてしまう。これは体格の違いだろうか。不思議である。一方選手のマナーという観点で見るとメージャー・リーグ選手の所構わずつばを吐き捨てる姿は汚らしく何とも頂けないマナーの悪さである。野球もスポーツであれば競技中にガムを噛むなどもってのほかと思うのだが皆平気でガムを噛んでいる。更にはそのガムを平気でグラウンド上に吐き捨てている。余りにも酷いマナーに驚かされる。その点では日本野球のマナーの良さが光る。しかし最近日本選手が悪いマネをして同じようなことをしている者が出始めていることに危惧を感ずる。野球ファンの子供達にどう説明できるのだろうか。自分たちの醜い姿がテレビで大写しされていることに早く気がついて欲しいと思わざるを得ない。
ジャガイモの花
ジャガイモの花が咲いた。春に鉢植えにしたジャガイモである。ジャガイモの花を見るのは初めてであるが花はナスの花にそっくりだ。図鑑で調べてみるとジャガイモはナスやトマトと同じナス科の植物らしい。聞いた話だがジャガイモを品種改良して地下部にはジャガイモ、地上部には花を結実させてトマトができると言う物があるらしい。まゆつば的話だがジャガイモの花を見ているとまんざら嘘でも無さそうな気がする。ところでジャガイモを鉢植えにする人はいないだろうが鉢植えでも収穫できるのだろうか。地植えなら6月末頃には収穫できるのだろうが果たしてどうなるか結果が楽しみである。

庭仕事
今日一日久しぶりの庭仕事に精を出した。雑草の抜き取り、芝生の養生、植木鉢への花植え、ついでに夏の収穫を期待して野菜の苗もプランターに植えた。花を愛でる事の楽しさや収穫の楽しさを期待するにはそれなりの労働が必要であり手塩にかければかけるほどその期待に応えてくれる。しかし最近どうも気になることがある。作業中に道具を探し回る回数が増えてきているような気がするのだ。植木ばさみを探したりスコップを探したり仕事の効率がよろしくないのだ。つい今し方使っていた植木ばさみが見当たらず何処に置いたのかと探し回る始末。ところが探している最中に以前探しても見つけられなかった別の道具が偶然にも出てきて今度こそは無くさないようにと分かりやすく棚に載せたら突然玄関のインターホンが成るので玄関に出たら家内の知り合いの方。家内につないで元に戻ろうとすると、近くに置いてある植木鉢の並びが良くないので直し始める。ついでにバラの植木を見たら虫が付いているので急いで殺虫剤を探し始める。確か棚に置いてあったはずなのに見つからない。見渡したら花の肥料が出てきたので今し方植えた花に肥料をやり始める。ついでに近くのハナミズキを見たら枯れ枝を発見。直ぐに切り取らないと思って漸く植木ばさみが見当たらないことに気がつく。漸く振り出しに戻って植木ばさみを探し回る非生産的な堂々巡りの生活が続くのである。庭仕事に精を出したと言うが結局私は今日一日何をやっていたのだろうか。こんな生活が続く愚かしさについつい自分でも笑ってしまう。
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