♪薔薇が咲いた〜
一昨年芝庭の片隅にバラらしき小さな芽が出てきたのを大事に掘り起こして鉢植えにしていた。今年で3年目になるが漸く2輪の花を咲かせた。恐らく野バラ(ノイバラ)と思われるがピンク色で桜の花を大きくしたような清楚な花である。野バラは白色だけかと思っていたのだがピンク色や赤色もあるらしい。ヨーロッパでは逆に野バラの花は赤色を指すようでゲーテの詩「野バラ」では赤色の花がモチーフになっている(お馴染みのシュウーベルトの曲「野バラ」はゲーテの詩に曲を付けたものである)。
詩の中に
「 手折りて行かん 野中のばら
手折らば手折れ 思い出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野中のばら」
とあるが,我が家の野バラを観察すると未だ幼木のためか棘らしいものが見当たらない。恐らく更に成長するにつれて棘が出てくるのだろうか。それにしても名も分からず大事に育てた草木が見事に花を咲かせてくれた時ほど嬉しいことはない。
お陰で草木の鉢植えが増える一方だ。

詩の中に
「 手折りて行かん 野中のばら
手折らば手折れ 思い出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野中のばら」
とあるが,我が家の野バラを観察すると未だ幼木のためか棘らしいものが見当たらない。恐らく更に成長するにつれて棘が出てくるのだろうか。それにしても名も分からず大事に育てた草木が見事に花を咲かせてくれた時ほど嬉しいことはない。
お陰で草木の鉢植えが増える一方だ。

ハナミズキが満開
庭のハナミズキが満開だ。庭に植えて既に30年以上経つが年々成長し今や大木になってきた。一時花の数が極端に少ない時期も有ったが最近では毎年無数の花を付けてくれる。気になるのは最近枝枯れの数が増えてきた点だろうか。老木化の兆しかも知れない。大きく開くハナミズキの花は天を向いて開くため高いところから見下ろさないとその美しさがわからない。我が家では2階から眺めるとその美しさが一段と際だつ。花と言っているが実際は花ではなく花弁のように見えるのは苞である。花びらを支えている外側の部分を苞(ほう)と言い、この苞が花弁に見えるのである。桜が散った後のこの時期、ハナミズキの花は春の晴れ間に一層の存在感を見せてくれている。




2階から撮影 (4月23日撮影)

隣家もハナミズキが咲いている。電線がちょっと無粋だが・・・(4月23日撮影)

下から見上げると花の美しさが分かりにくい。(4月23日撮影)
桜を愛でることの楽しさ
桜の時期になると何故か気持が高ぶり心焦る日々が続く。毎年美しく咲き誇る満開の桜を見逃したくないとの思いとその桜を美しくカメラに収めておきたいとの思いが益々焦りを感じさせるのかもしれない。花の命の短さがそうさせるのだろうがその思いは歳と共に強くなる。無病息災である我が身に感謝しつつ今年も桜を愛でることができたことに満足感が漂う。こんな繰り返しを毎年続けている。
今年は地元の公園の桜から始まり、鎌倉や横浜近郊の桜の名所を歩き回ってきたがシーズンの終わりにと春の陽光に誘われて昨日の日曜日に夫婦で高尾山に出かけてきた。さぞかし桜が綺麗であろうとの思いだったが残念ながら麓の桜だけが満開で頂上の桜は開花していなかった。今年の桜の見納めにしては心残りがあるがそれでも新緑の芽生えや山野草の花々にも出会うことができ春を満喫した思いが強い。ただ気がかりなのは相変わらず写真の腕が上がらないことだろうか。こればかりは桜のせいにもできず唯唯ひたすらに来年こそはの思いで精進するしか無さそうだ。
ところで東京やその近郊に住んでいる人ならばきっと一度は登ったことがあると思われる高尾山だが、実は私たちにとって高尾山に登るのは初めての経験だ。高尾山には中腹までケーブルカーもあり誰でも気軽に登ることができる最もお手軽な山である。たかが標高600メートル程度のこの山でケーブルカーを利用することもあるまいと、鎌倉近郊へのハイキングと同じような気分で登り始めたのだが、それが間違いだった。もちろんそれなりの登山装備で出かけたのだが実際には急峻な登り坂の連続でたかが高尾山のつもりが私たちにとっては大変な山登りとなってしまったのだ。特に山下りではこんなにも急な坂であったのかとビックリさせられ足がもつれるほどだった。
春の時期は一年の中で最も行動的な時期であり、入学式や入社式など新しい門出の時期であろうが私には老体に更なるムチを入れる一日でもあったかもしれない。
お陰で帰路横浜に立ち寄って飲んだビールの美味しかったこと!

この日はちょうど高尾山若葉祭りの初日で高尾山薬王院のお坊さんが山伏の先導で安全祈願向かう所だった。

麓のケーブルカー乗り場の見事な桜

同じくケーブル乗り場の桜

高尾山薬王院のしだれ桜

頂上の桜は開花していなかった。それにしても大勢の登山客に圧倒される。

頂上から丹沢方面を望む。生憎の春の霞で富士山の眺望が叶わなかった。

下山後の参道の桜
今年は地元の公園の桜から始まり、鎌倉や横浜近郊の桜の名所を歩き回ってきたがシーズンの終わりにと春の陽光に誘われて昨日の日曜日に夫婦で高尾山に出かけてきた。さぞかし桜が綺麗であろうとの思いだったが残念ながら麓の桜だけが満開で頂上の桜は開花していなかった。今年の桜の見納めにしては心残りがあるがそれでも新緑の芽生えや山野草の花々にも出会うことができ春を満喫した思いが強い。ただ気がかりなのは相変わらず写真の腕が上がらないことだろうか。こればかりは桜のせいにもできず唯唯ひたすらに来年こそはの思いで精進するしか無さそうだ。
ところで東京やその近郊に住んでいる人ならばきっと一度は登ったことがあると思われる高尾山だが、実は私たちにとって高尾山に登るのは初めての経験だ。高尾山には中腹までケーブルカーもあり誰でも気軽に登ることができる最もお手軽な山である。たかが標高600メートル程度のこの山でケーブルカーを利用することもあるまいと、鎌倉近郊へのハイキングと同じような気分で登り始めたのだが、それが間違いだった。もちろんそれなりの登山装備で出かけたのだが実際には急峻な登り坂の連続でたかが高尾山のつもりが私たちにとっては大変な山登りとなってしまったのだ。特に山下りではこんなにも急な坂であったのかとビックリさせられ足がもつれるほどだった。
春の時期は一年の中で最も行動的な時期であり、入学式や入社式など新しい門出の時期であろうが私には老体に更なるムチを入れる一日でもあったかもしれない。
お陰で帰路横浜に立ち寄って飲んだビールの美味しかったこと!

この日はちょうど高尾山若葉祭りの初日で高尾山薬王院のお坊さんが山伏の先導で安全祈願向かう所だった。

麓のケーブルカー乗り場の見事な桜

同じくケーブル乗り場の桜

高尾山薬王院のしだれ桜

頂上の桜は開花していなかった。それにしても大勢の登山客に圧倒される。

頂上から丹沢方面を望む。生憎の春の霞で富士山の眺望が叶わなかった。

下山後の参道の桜
咲いた咲いた桜が咲いた・・・我が家の庭に
2年程前我が家の庭に桜の木が現れ今年初めてその桜に花を付けた。鳥が運んで来てくれたサクランボが芽を出したのだろう。発芽したばかりの頃は何の木か分からなかったが成長するにつれて桜特有の木肌が見られたため桜の木と確信して鉢に植え替えた。
発芽してから今年で3年目に入るが未だ高さ1メートルほどにしか成長していない幼木である。こんな幼木が桜の蕾を付けるとはだれも思わないだろうが、3月中旬頃に良く見てみると蕾らしき房が一つだけ出ているのを発見した。数日注意深く観察を続けたらその房から2輪ほどの花の蕾が現れてきた。
その蕾が今日見事に開花してくれたのである。こんな幼木がよくぞ花を咲かせてくれたと思いながら何とも言えない愛おしさを感じさせる。花の色と葉の状況を見るとソメイヨシノではなく山桜ではないだろうか。何故なら花と葉が同時に開きだしているからだ。
近くの山には山桜がたくさんあり、夏に実るサクランボを小鳥達は好んで食べる。その小鳥達のおかげで我が家にも桜がやって来たのである。
桜の木を鉢植えで育てる人は少ないだろうが来年も花を咲かせてくれるように大事に育てたいと思っている。

3月28日

3月31日

4月1日

4月1日
発芽してから今年で3年目に入るが未だ高さ1メートルほどにしか成長していない幼木である。こんな幼木が桜の蕾を付けるとはだれも思わないだろうが、3月中旬頃に良く見てみると蕾らしき房が一つだけ出ているのを発見した。数日注意深く観察を続けたらその房から2輪ほどの花の蕾が現れてきた。
その蕾が今日見事に開花してくれたのである。こんな幼木がよくぞ花を咲かせてくれたと思いながら何とも言えない愛おしさを感じさせる。花の色と葉の状況を見るとソメイヨシノではなく山桜ではないだろうか。何故なら花と葉が同時に開きだしているからだ。
近くの山には山桜がたくさんあり、夏に実るサクランボを小鳥達は好んで食べる。その小鳥達のおかげで我が家にも桜がやって来たのである。
桜の木を鉢植えで育てる人は少ないだろうが来年も花を咲かせてくれるように大事に育てたいと思っている。

3月28日

3月31日

4月1日

4月1日





