日本女子ソフトボールチームが金メダル!!!
ソフトボールがこれ程面白いスポーツであるとは思わなかった。誰しもが気軽に楽しめるソフトボールゲームはどちらかと言えばリクリエーションの一つ程度にしか思っていなかったが実に緊迫した激しいゲーム展開に観戦する側もその面白さに圧倒させられ興奮の渦に引き込まれてしまった。ソフトボールチームの彼女たちの頑張りに心から敬意を表したい。
今回のオリンピックでは女性アスリート達の活躍が目立つ。女子ソフトボールチームのエースである上野投手が驚異的な連投をしながらも「オリンピックでは気持を強く持たないと勝てない事が良く分かった」との談話が報じられていたが彼女たちのプレイを観ているとまさにその気持が伝わってくる。彼女たちの最後まで諦めず頑張り通した姿は日本中に感動を与えてくれたのではないだろうか。
それに引き替え男性アスリート達はどうしたのだろうか。まるで参加することに意義を感じているだけのプレイが目立ち気迫も感じられない。唯一その姿を見せてくれたのは水泳の北島選手だけではなかろうか。「自分の力はこんなもんです」等と開き直りにも聞こえる多くの男性日本人選手のコメントには唖然とするが自分の力を充分発揮出来ずに敗残する姿は強い気持が持てない最近の若い男性達の特徴ではなかろうかとつい思ってしまいそうだ。日本人女性の頼もしさが目立てば目立つほど日本人男性の気弱さが浮き彫りになり銃後の守りは今や男どもの世界になりつつあるのかもしれない。
話が変わるが今回のソフトボールの中継を観ていてアナウンサーが「ここでヒットを打てば彼女はヒーローになれるかしれない」などと説明していたのが何とも気になってしょうがなかった。「ヒーロ(Hero)」とは「英雄、英傑」という意味があるがそれは男に対する言葉であり女性に対する言葉ではないはずである。敢えて言うならば「ヒロイン(Heroine)」であろうか。
しかし私の方が間違っている可能性もあるので小学館のランダムハス英和辞典で調べてみると「ヒーロ(Hero)」そのものが男性に対する言葉であるとの記述は見つからなかった。それならばと 英英辞典の「Websterユs New Collegiate Dictionary」で調べてみると必ずしも明快には書かれていないが「a man admired for his achievements and qualities」とあり更に開拓社の「現代英英辞典」では「boy or man respected for bravery or noble qualities」とあり明らかに男性に対してだけ使用される言葉であることがわかる。
どうでも良いことに拘るのは私の悪い癖だが英語が勝手に日本語化してしまった良い事例かも知れない。社会が歴史的に男を中心にしてきたことが現代の強い女性に当てはめる言葉を見いだせないでいるのかもしれない。でも正気言って女が余り強くなるのも男としては困るのだが・・・・・・・・・・・。
今回のオリンピックでは女性アスリート達の活躍が目立つ。女子ソフトボールチームのエースである上野投手が驚異的な連投をしながらも「オリンピックでは気持を強く持たないと勝てない事が良く分かった」との談話が報じられていたが彼女たちのプレイを観ているとまさにその気持が伝わってくる。彼女たちの最後まで諦めず頑張り通した姿は日本中に感動を与えてくれたのではないだろうか。
それに引き替え男性アスリート達はどうしたのだろうか。まるで参加することに意義を感じているだけのプレイが目立ち気迫も感じられない。唯一その姿を見せてくれたのは水泳の北島選手だけではなかろうか。「自分の力はこんなもんです」等と開き直りにも聞こえる多くの男性日本人選手のコメントには唖然とするが自分の力を充分発揮出来ずに敗残する姿は強い気持が持てない最近の若い男性達の特徴ではなかろうかとつい思ってしまいそうだ。日本人女性の頼もしさが目立てば目立つほど日本人男性の気弱さが浮き彫りになり銃後の守りは今や男どもの世界になりつつあるのかもしれない。
話が変わるが今回のソフトボールの中継を観ていてアナウンサーが「ここでヒットを打てば彼女はヒーローになれるかしれない」などと説明していたのが何とも気になってしょうがなかった。「ヒーロ(Hero)」とは「英雄、英傑」という意味があるがそれは男に対する言葉であり女性に対する言葉ではないはずである。敢えて言うならば「ヒロイン(Heroine)」であろうか。
しかし私の方が間違っている可能性もあるので小学館のランダムハス英和辞典で調べてみると「ヒーロ(Hero)」そのものが男性に対する言葉であるとの記述は見つからなかった。それならばと 英英辞典の「Websterユs New Collegiate Dictionary」で調べてみると必ずしも明快には書かれていないが「a man admired for his achievements and qualities」とあり更に開拓社の「現代英英辞典」では「boy or man respected for bravery or noble qualities」とあり明らかに男性に対してだけ使用される言葉であることがわかる。
どうでも良いことに拘るのは私の悪い癖だが英語が勝手に日本語化してしまった良い事例かも知れない。社会が歴史的に男を中心にしてきたことが現代の強い女性に当てはめる言葉を見いだせないでいるのかもしれない。でも正気言って女が余り強くなるのも男としては困るのだが・・・・・・・・・・・。
暑い!暑い!兎に角暑い!
連日30度を超す暑さが続いている。一昔前は30度を越す暑さはそれほど無かったような気がするが今や夏は30度以上になることが当たり前の季節感となってしまった。確実に地球温暖化が進んでいるのだろうか。
かつて、暑いときには打ち水で多少の涼しさを感じたが今では打ち水は焼け石に水の如くであまり効果がない。昔は暑ければ夜通し窓を開け放して涼風を感じたが今では物騒でそれもできない。
今我が家では昼間の室内温度が常に30度を超している。全てのドアや窓を開け放してはいるが外気温が余りにも高くて効果が薄い。ならばエアコンをつけて暑さを凌ぎたいが一旦エアコンの快適さに体が慣れてしまうとエアコンから逃れられなくなってしまう。仕方なしに極力エアコンを使用せず省エネルギーに少しでも寄与しよう等と高邁な精神でやせ我慢の日々が続く。しかし内実は単に電気代の節約に汗まみれの努力をしているに過ぎない。庶民の知恵は常にみみっちい。
暑さを逃れてエアコンの効く公共の場に出かけるのが一番だと人は勧めるがバスや電車の料金を払ってまでとなると自宅のエアコンの電気代の方が安い計算になる。ならば交通費の要らない近くの図書館へ出かけると同じような事を考える避暑客(?)も多く開館前から行列が出来る始末。中に入っても人が多すぎて座る場所もなく中には気持ちよく昼寝をしている人さえもいる。
涼しさを求めるのも大変な努力が必要なのかも知れない。やはり庶民はじっと我慢して夏の過ぎ去るのを待つしか無さそうだ。
それにしてもこの暑さ何とかならいだろうか・・・・・・!
かつて、暑いときには打ち水で多少の涼しさを感じたが今では打ち水は焼け石に水の如くであまり効果がない。昔は暑ければ夜通し窓を開け放して涼風を感じたが今では物騒でそれもできない。
今我が家では昼間の室内温度が常に30度を超している。全てのドアや窓を開け放してはいるが外気温が余りにも高くて効果が薄い。ならばエアコンをつけて暑さを凌ぎたいが一旦エアコンの快適さに体が慣れてしまうとエアコンから逃れられなくなってしまう。仕方なしに極力エアコンを使用せず省エネルギーに少しでも寄与しよう等と高邁な精神でやせ我慢の日々が続く。しかし内実は単に電気代の節約に汗まみれの努力をしているに過ぎない。庶民の知恵は常にみみっちい。
暑さを逃れてエアコンの効く公共の場に出かけるのが一番だと人は勧めるがバスや電車の料金を払ってまでとなると自宅のエアコンの電気代の方が安い計算になる。ならば交通費の要らない近くの図書館へ出かけると同じような事を考える避暑客(?)も多く開館前から行列が出来る始末。中に入っても人が多すぎて座る場所もなく中には気持ちよく昼寝をしている人さえもいる。
涼しさを求めるのも大変な努力が必要なのかも知れない。やはり庶民はじっと我慢して夏の過ぎ去るのを待つしか無さそうだ。
それにしてもこの暑さ何とかならいだろうか・・・・・・!
水泳北島選手金メダル獲得、バトミントン末綱・前田組準決勝へ!!
北京オリンピックで北島選手が金メダルを獲った!!実に見事な戦い振りで日本中を感動の渦に巻き込んだ。更に嬉しいのは女子バトミントンで末綱・前田組が世界ナンバー1の中国組を破って準決勝に進出したことだろうか。日本の若者も立派に育ってきていることの証としてとても嬉しい。
しかしいつもこの種の国際競技で思うことがある。情報を伝えるメディアのあり方である。最初から力の差が歴然としているにも拘わらずあたかも金メダルが取れそうな雰囲気で報道されている。選手達もその報道に載せられて丸でスター気分に成っているかのようだ。その典型はバレーボールであり柔道でありサッカーであり野球かもしれない。選手をお茶の間のスター扱いにしてメディアと一体化して宣伝される姿はどうみてもスポーツのあり方としてあるべき姿とは思えない。
昨日のサッカーを観ても力の差は歴然としておりむしろ良くぞ1点を返して一矢報いてくれたと褒めてしかるべきだが前評判と結果との差に日本中がガッカリさせられメディアはそれを惜敗と報じる。自らの力を知り世界の力を知ることの大切さをこのオリンピックで教えてくれているようだ。その点で水泳の北島選手やバトミントンの末綱・渡辺組はメディアに惑わされず自らの力を知り世界の力を理解した結果の快挙のような気がして成らない。
星野監督率いる野球が心配である。決してたかが野球とは言わないがメディアはまるで戦場に赴く将軍と兵士の如くの扱いである。玉砕にならなければ良いのだが・・・。
しかしいつもこの種の国際競技で思うことがある。情報を伝えるメディアのあり方である。最初から力の差が歴然としているにも拘わらずあたかも金メダルが取れそうな雰囲気で報道されている。選手達もその報道に載せられて丸でスター気分に成っているかのようだ。その典型はバレーボールであり柔道でありサッカーであり野球かもしれない。選手をお茶の間のスター扱いにしてメディアと一体化して宣伝される姿はどうみてもスポーツのあり方としてあるべき姿とは思えない。
昨日のサッカーを観ても力の差は歴然としておりむしろ良くぞ1点を返して一矢報いてくれたと褒めてしかるべきだが前評判と結果との差に日本中がガッカリさせられメディアはそれを惜敗と報じる。自らの力を知り世界の力を知ることの大切さをこのオリンピックで教えてくれているようだ。その点で水泳の北島選手やバトミントンの末綱・渡辺組はメディアに惑わされず自らの力を知り世界の力を理解した結果の快挙のような気がして成らない。
星野監督率いる野球が心配である。決してたかが野球とは言わないがメディアはまるで戦場に赴く将軍と兵士の如くの扱いである。玉砕にならなければ良いのだが・・・。
アナログ世代
コンピュータを我が友として戯れ始めてからどの位経つであろうか。遊びでコンピュータを使い始めてかれこれ30年近い。その割には未だに思考がアナログ的なのが気にかかるが頭の老化防止には格好のおもちゃとなっている。
我々の年代はデジタルの世界から取り残された典型的なアナログ世代らしくインターネットや電子メールはもとより携帯電話さえも使いこなせないでいる。最初から扱いのややこしさから敬遠しがちで自ら積極的にその世界に入ることに抵抗感があるのだろうか。確かにデジタルの世界は便利であると感じつつもデジタル技術の進歩がもたらす多機能化がアナログ的思考では追いつけないのがその理由かも知れない。
家電製品の殆どがデジタル技術のお陰でやたらと機能が増えアナログ人間にはとても使いこなせず殆どデジタル化の恩恵を放棄しているに等しい。息子や娘あるいは孫達に操作して貰ってかろうじて文明の利器の便利さを享受しているのが実態だろう。
IT革命が取りざたされた90年代は定年退職を間近に控えた多くのサラーリーマンは管理職として最後の追い込みとばかり仕事に精励していたが実務はすべからく部下が行い面倒なパソコンをいじくり回す等はあり得なかったに違いない。部下から見れば何も出来ない何も知らない上司と思われていたであろうに、その事に気が付かずに退職し自由の身に置かれて初めて情報量の少なさに戸惑い自分では何も出来ないことに気がつく。
実は今高校時代の同級生有志を募り文芸展を8月に開く予定にしている。どういうわけか私がその事務局の代表にさせられ出展者とのコーディネーションをすることになってしまった。総勢24名ほどの出展者だが全員同じ年齢でありディジタルの世界から取り残された典型的なメンバーばかりだ。
連絡にメールも使えず情報の共有化もままならない。致し方なくホームページを作成して情報の共有化を目論んだが考えてみたら殆どの者がパソコンを所有しておらず所有していても部屋の飾り物と化しているのが実態だ。
致し方なく必然的に電話やFAXでのやりとりとなる。これらの機器はデジタルでも手段はアナログ的である。聞き間違いや読み取り難さが発生したり、時間もかかり、費やした時間の割には情報量の少なさに苛立ちが生じてくる。せめて電子メールのやり取りができればどんなに楽な対応が出来るのにとつい愚痴がこぼれてしまう。
やはりアナログ世界で事を運ぶにはある種の忍耐が必要なのかも知れない。そんな事を言いながら銀行のATMの前に立って緊張している自分の姿が奇妙で矛盾しているが、きっとスローライフとはアナログの世界に生きることなのだと自らに言い聞かせ今宵もLPレコードに針を落とし古き良き時代の郷愁に浸っている。
私もやはりアナログ世代ではないか!
我々の年代はデジタルの世界から取り残された典型的なアナログ世代らしくインターネットや電子メールはもとより携帯電話さえも使いこなせないでいる。最初から扱いのややこしさから敬遠しがちで自ら積極的にその世界に入ることに抵抗感があるのだろうか。確かにデジタルの世界は便利であると感じつつもデジタル技術の進歩がもたらす多機能化がアナログ的思考では追いつけないのがその理由かも知れない。
家電製品の殆どがデジタル技術のお陰でやたらと機能が増えアナログ人間にはとても使いこなせず殆どデジタル化の恩恵を放棄しているに等しい。息子や娘あるいは孫達に操作して貰ってかろうじて文明の利器の便利さを享受しているのが実態だろう。
IT革命が取りざたされた90年代は定年退職を間近に控えた多くのサラーリーマンは管理職として最後の追い込みとばかり仕事に精励していたが実務はすべからく部下が行い面倒なパソコンをいじくり回す等はあり得なかったに違いない。部下から見れば何も出来ない何も知らない上司と思われていたであろうに、その事に気が付かずに退職し自由の身に置かれて初めて情報量の少なさに戸惑い自分では何も出来ないことに気がつく。
実は今高校時代の同級生有志を募り文芸展を8月に開く予定にしている。どういうわけか私がその事務局の代表にさせられ出展者とのコーディネーションをすることになってしまった。総勢24名ほどの出展者だが全員同じ年齢でありディジタルの世界から取り残された典型的なメンバーばかりだ。
連絡にメールも使えず情報の共有化もままならない。致し方なくホームページを作成して情報の共有化を目論んだが考えてみたら殆どの者がパソコンを所有しておらず所有していても部屋の飾り物と化しているのが実態だ。
致し方なく必然的に電話やFAXでのやりとりとなる。これらの機器はデジタルでも手段はアナログ的である。聞き間違いや読み取り難さが発生したり、時間もかかり、費やした時間の割には情報量の少なさに苛立ちが生じてくる。せめて電子メールのやり取りができればどんなに楽な対応が出来るのにとつい愚痴がこぼれてしまう。
やはりアナログ世界で事を運ぶにはある種の忍耐が必要なのかも知れない。そんな事を言いながら銀行のATMの前に立って緊張している自分の姿が奇妙で矛盾しているが、きっとスローライフとはアナログの世界に生きることなのだと自らに言い聞かせ今宵もLPレコードに針を落とし古き良き時代の郷愁に浸っている。
私もやはりアナログ世代ではないか!
日本人は気楽な人種か?
世の中が殺伐として日本全体に暗い影を落としているかのような世相が続いている。人の命が軽んじられ、かつての道徳観は最早消え失せてしまっているかのようだ。高齢化社会と言いながら高齢者に冷たく、若者に夢をと言いながら夢の持てない社会。食の安全・安心と言いながら産地偽称や使い回しが平然と行われる。勝ち組と負け組の峻別が進み失敗すると二度とはい上がれない社会構造。追い打ちを掛けるように転変地変も続いている。
果たしてこの国はどちらに向かおうとしているのだろうか。行く末に何となく悲観的に成らざるを得なくなる。何とかしなければと危機感を感じて改革を声高に叫ぶ政治家も常にかけ声だけで一向に変わる気配はなく政治そのものがゲーム化してしまっている。日本国民が共に幸せに生きるための統治を任せているのに政治家自身がまるで評論家になり下がってしまっている。
それでも人々の表情には不安感もなく出来事がすべからく他人事のように流されていく。テレビでは連日気楽な番組が続き他社の新聞記事を唯読み、紹介するだけの気楽さである。これ程悲観的であるにも拘わらず日本人はやはり気楽な人種なのだろうか。逆な言い方をすればこれも立派な国力と言えなくもないが何となく過去の栄光にしがみついているかのようで不安を感じさせる。
バブル経済からの脱却に四苦八苦していた8年程前にインターネット上に配信されたニュースにこんなニュースがあった。
「アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチ・センターがまとめた44カ国の世論調査によると今後5年間の見通しで「悲観的」と答えた日本人は27%。韓国(9%)や中国(8%)などを大きく上回り、44カ国中でもヨルダン、レバノンに次いで3番目に多かった。特に自国の経済については93%が「悪い」と回答した。一方で個人の生活については「特に大きな悩みはない」と答えた人が大半の国を大きく上回る43%に上り、調査担当者は「日本人は世界でも最も悲観的な国民の一つなのに、大きな悩みを抱えていないようだ」と首をひねっている。」・・・・
ニュースとしては古いかもしれないが日本人の「お気楽」さは世界でも理解しがたい姿に映っているようだ。
果たしてこの国はどちらに向かおうとしているのだろうか。行く末に何となく悲観的に成らざるを得なくなる。何とかしなければと危機感を感じて改革を声高に叫ぶ政治家も常にかけ声だけで一向に変わる気配はなく政治そのものがゲーム化してしまっている。日本国民が共に幸せに生きるための統治を任せているのに政治家自身がまるで評論家になり下がってしまっている。
それでも人々の表情には不安感もなく出来事がすべからく他人事のように流されていく。テレビでは連日気楽な番組が続き他社の新聞記事を唯読み、紹介するだけの気楽さである。これ程悲観的であるにも拘わらず日本人はやはり気楽な人種なのだろうか。逆な言い方をすればこれも立派な国力と言えなくもないが何となく過去の栄光にしがみついているかのようで不安を感じさせる。
バブル経済からの脱却に四苦八苦していた8年程前にインターネット上に配信されたニュースにこんなニュースがあった。
「アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチ・センターがまとめた44カ国の世論調査によると今後5年間の見通しで「悲観的」と答えた日本人は27%。韓国(9%)や中国(8%)などを大きく上回り、44カ国中でもヨルダン、レバノンに次いで3番目に多かった。特に自国の経済については93%が「悪い」と回答した。一方で個人の生活については「特に大きな悩みはない」と答えた人が大半の国を大きく上回る43%に上り、調査担当者は「日本人は世界でも最も悲観的な国民の一つなのに、大きな悩みを抱えていないようだ」と首をひねっている。」・・・・
ニュースとしては古いかもしれないが日本人の「お気楽」さは世界でも理解しがたい姿に映っているようだ。




