北京オリンピックも閉会し静かな日常へ

昨夜テレビで北京オリンピックの閉会式を観た。これでもかこれでもかの長く冗長的な演出に途中から観るのを止めてしまったがまさにこれぞ国威発揚のためのオリンピックであった事を強烈に印象づけた感がする。さぞかし大金を注ぎ込んだのだろうと思いながらそんな金があるならもう少し別な使い道もあろうに等とつい余計なことを思ってしまった。

しかし考えてみたら1964年に行われた東京オリンピックの時も同じであった様な気がする。今まで見たこともない高速道路ができ、世界で一番早い新幹線ができ、羽田空港へは未来の乗り物を連想させるモノレールができ、何もかもが新しくなり日本も漸く近代化の方向へ進み先進国の仲間入りするのだという事を国民に印象づけたオリンピックだった。一方では古き良き物が近代化の名の元に葬りさせられ本来の日本文化を歪め、更には経済の高度成長化が促進されたことで公害という負の遺産を作り出してしまった。今回の北京オリンピックも全くそんな感じがする。オリンピック後の中国がこれからどのような道を歩むのか世界が注目するに違いない。東京オリンピックの時のように。

ところでオリンピックで敗れた日本野球チームの記者会見がテレビのニュースで報道されていた。何とも頂けない監督のコメントには開いた口がふさがらない。「オリンピックでは強いチームが勝つのではなく勝ったチームが強いのだ」などと訳の分からないコメントをしていた。ココまで権威主義に固執して責任回避の言い訳をするとは信じがたい。続けてプロ野球チームのある監督が「あの監督コーチの選任では最初から無理があった」というようなコメントも報道されていた。こんな監督達が采配を振るっている日本のプロ野球はどうなっているのだろうか。

更にオリンピックチームの監督は「日本の野球は強い」のだとも言っていた。本当だろうか。プロ野球は草野球とは違う、勝つために技術を磨き戦略や戦術を立てて気概と気迫を示すのが本来のプロである筈だ。気概も気迫も感ぜられず敗退した選手達は自分たちの姿をどのように捉えているのだろうか。

野球評論家が日本野球は世界で一番強い等と良く評論している姿をテレビで見ることがある。私は長い間アメリカでメジャーリーグの野球を見てきたが日本のプロ野球に比べるとメジャーリーグの彼らはスピード感溢れるこれぞプロというプレイを見せて観客を喜ばせている。縮こまった日本のプロ野球とは大きな違いがある。いくら技術が高くても勝つことの執念がなければプロとは言えない。日本のプロ野球ももう一度プロとは何か問い直して欲しい。

今回の北京オリンピックでメダルを獲得した選手達を見ていると気概と気迫がこもっていた。その結果が私達に感動を与えてくれたのだ。彼らには心から賛辞を送りたい。

日本女子ソフトボールチームが金メダル!!!

ソフトボールがこれ程面白いスポーツであるとは思わなかった。誰しもが気軽に楽しめるソフトボールゲームはどちらかと言えばリクリエーションの一つ程度にしか思っていなかったが実に緊迫した激しいゲーム展開に観戦する側もその面白さに圧倒させられ興奮の渦に引き込まれてしまった。ソフトボールチームの彼女たちの頑張りに心から敬意を表したい。

今回のオリンピックでは女性アスリート達の活躍が目立つ。女子ソフトボールチームのエースである上野投手が驚異的な連投をしながらも「オリンピックでは気持を強く持たないと勝てない事が良く分かった」との談話が報じられていたが彼女たちのプレイを観ているとまさにその気持が伝わってくる。彼女たちの最後まで諦めず頑張り通した姿は日本中に感動を与えてくれたのではないだろうか。

それに引き替え男性アスリート達はどうしたのだろうか。まるで参加することに意義を感じているだけのプレイが目立ち気迫も感じられない。唯一その姿を見せてくれたのは水泳の北島選手だけではなかろうか。「自分の力はこんなもんです」等と開き直りにも聞こえる多くの男性日本人選手のコメントには唖然とするが自分の力を充分発揮出来ずに敗残する姿は強い気持が持てない最近の若い男性達の特徴ではなかろうかとつい思ってしまいそうだ。日本人女性の頼もしさが目立てば目立つほど日本人男性の気弱さが浮き彫りになり銃後の守りは今や男どもの世界になりつつあるのかもしれない。

話が変わるが今回のソフトボールの中継を観ていてアナウンサーが「ここでヒットを打てば彼女はヒーローになれるかしれない」などと説明していたのが何とも気になってしょうがなかった。「ヒーロ(Hero)」とは「英雄、英傑」という意味があるがそれは男に対する言葉であり女性に対する言葉ではないはずである。敢えて言うならば「ヒロイン(Heroine)」であろうか。

しかし私の方が間違っている可能性もあるので小学館のランダムハス英和辞典で調べてみると「ヒーロ(Hero)」そのものが男性に対する言葉であるとの記述は見つからなかった。それならばと 英英辞典の「Websterユs New Collegiate Dictionary」で調べてみると必ずしも明快には書かれていないが「a man admired for his achievements and qualities」とあり更に開拓社の「現代英英辞典」では「boy or man respected for bravery or noble qualities」とあり明らかに男性に対してだけ使用される言葉であることがわかる。

どうでも良いことに拘るのは私の悪い癖だが英語が勝手に日本語化してしまった良い事例かも知れない。社会が歴史的に男を中心にしてきたことが現代の強い女性に当てはめる言葉を見いだせないでいるのかもしれない。でも正気言って女が余り強くなるのも男としては困るのだが・・・・・・・・・・・。

暑い!暑い!兎に角暑い!

連日30度を超す暑さが続いている。一昔前は30度を越す暑さはそれほど無かったような気がするが今や夏は30度以上になることが当たり前の季節感となってしまった。確実に地球温暖化が進んでいるのだろうか。

かつて、暑いときには打ち水で多少の涼しさを感じたが今では打ち水は焼け石に水の如くであまり効果がない。昔は暑ければ夜通し窓を開け放して涼風を感じたが今では物騒でそれもできない。

今我が家では昼間の室内温度が常に30度を超している。全てのドアや窓を開け放してはいるが外気温が余りにも高くて効果が薄い。ならばエアコンをつけて暑さを凌ぎたいが一旦エアコンの快適さに体が慣れてしまうとエアコンから逃れられなくなってしまう。仕方なしに極力エアコンを使用せず省エネルギーに少しでも寄与しよう等と高邁な精神でやせ我慢の日々が続く。しかし内実は単に電気代の節約に汗まみれの努力をしているに過ぎない。庶民の知恵は常にみみっちい。

暑さを逃れてエアコンの効く公共の場に出かけるのが一番だと人は勧めるがバスや電車の料金を払ってまでとなると自宅のエアコンの電気代の方が安い計算になる。ならば交通費の要らない近くの図書館へ出かけると同じような事を考える避暑客(?)も多く開館前から行列が出来る始末。中に入っても人が多すぎて座る場所もなく中には気持ちよく昼寝をしている人さえもいる。

涼しさを求めるのも大変な努力が必要なのかも知れない。やはり庶民はじっと我慢して夏の過ぎ去るのを待つしか無さそうだ。
それにしてもこの暑さ何とかならいだろうか・・・・・・!

水泳北島選手金メダル獲得、バトミントン末綱・前田組準決勝へ!!

北京オリンピックで北島選手が金メダルを獲った!!実に見事な戦い振りで日本中を感動の渦に巻き込んだ。更に嬉しいのは女子バトミントンで末綱・前田組が世界ナンバー1の中国組を破って準決勝に進出したことだろうか。日本の若者も立派に育ってきていることの証としてとても嬉しい。

しかしいつもこの種の国際競技で思うことがある。情報を伝えるメディアのあり方である。最初から力の差が歴然としているにも拘わらずあたかも金メダルが取れそうな雰囲気で報道されている。選手達もその報道に載せられて丸でスター気分に成っているかのようだ。その典型はバレーボールであり柔道でありサッカーであり野球かもしれない。選手をお茶の間のスター扱いにしてメディアと一体化して宣伝される姿はどうみてもスポーツのあり方としてあるべき姿とは思えない。

昨日のサッカーを観ても力の差は歴然としておりむしろ良くぞ1点を返して一矢報いてくれたと褒めてしかるべきだが前評判と結果との差に日本中がガッカリさせられメディアはそれを惜敗と報じる。自らの力を知り世界の力を知ることの大切さをこのオリンピックで教えてくれているようだ。その点で水泳の北島選手やバトミントンの末綱・渡辺組はメディアに惑わされず自らの力を知り世界の力を理解した結果の快挙のような気がして成らない。

星野監督率いる野球が心配である。決してたかが野球とは言わないがメディアはまるで戦場に赴く将軍と兵士の如くの扱いである。玉砕にならなければ良いのだが・・・。

展覧会 前期高齢者も頑張っています

先週8月3日から6日までの間、東京文京区のシビックセンターで高校時代の同級生有志による展覧会(文芸展?)を催した。大勢の出展者を束ねコージネーションを取ることの難しさを厭と言うほど感じながら何とか盛況の内に展覧会を終了させた事でコージネターとしての肩の荷も降りホットしている。

来訪者も700名を越しその盛況ぶりにビックリさせられたが、多くのアマチュア芸術家(?)は自分の作品を発表したいと思いながらこの種の場を得る事の難しさやアマチュアであるが故に出展することへの一種の気恥ずかしさでなかなか行動に移せないでいるのが実態であろう。特に私達のように前期高齢者(?)にとってはその思いは強いかもしれない。見に来ていただいた多くの人達から企画の良さと出展できることの羨ましさを偽らざる気持で話をしていただいたことがそれを物語っている。この企画のキャッチフレーズを

ちょっとだけ気恥ずかしく
ちょっとだけ志高く
ちょっとだけ夢を見たい


としたことが共感を呼んだのかも知れない。果たして次回はどんな形になるであろうか。肩の荷の重さに躊躇しながらも何とか続けていければと願っている。